良い時計の今と昔

現代の「いい時計」と昔の「いい時計」は違う。
時計本来の目的である、『時間を知る」ということであれば、精度の高い時計、狂わない時計が
「いい時計」。 それは、今も昔も変わらない。
昔、精度のいい時計を作るためには、部品一つ一つがすばらしく高品質だった。
工作機械が発達していない分、人間の手によって仕上げられていた。 素材が開発途上だった分、ウォッチメーカーの技術にかかっていた。
今は、素材も工作機械も発達した分、逆に質は落ちている。 ウォッチメーカーの技術が心要なくなってきている。
たとえば機械式時計の動力源であるゼンマイ。 昔は、時間の経過と共にゼンマイの力は弱くなっていた。 弱い力でも時計を正確に動かすために、その他の部品同士の摩擦を極力減らす必要がある。
そして部品は徹底的に磨かれる。 美しい部品となる。 今のゼンマイはカの変動がほとんどない。 合金の発達のおかげ。
それ自体はすばらしいことなのだが、そのために部品を磨く必要がなくなったことも確か。 部品を仕上げない=ウォッチメーカーの技術を必要としなくとも精度のいい時計ができてしまう。
技術の発達が悪いことではない。 その技術に頼りきってしまう人間の問題。
前回いった「いい時計」とは昔の定義でのいい時計。 いい機械、いい技術が詰め込まれている時計。 そんな時計をなおしてみてほしい。 技術力さえあれば、完璧によくなる。 もしよくならなければ、あなたの技術力の問題。